結成までの経緯

バンド結成までにいろいろ準備をする時間が必要ですからメンバー集めに関しては半年前から根回しをしながら声をかけていました。                                     その当時コンボで一緒だったドラムの吉田君に「そろそろ新しいビッグバンド作るぞー」と一番に相談しました。「一緒にビッグバンドやるならドラムは吉田君」と私の心は決まっていたからです。(ドラム決定!)。                                              メンバー集めは、私が入ってもらいたい方に1人一人にお会するか、電話で直接交渉しました。「どういうバンドを作りたいか」「どんな曲をやっていくか」「バンドの維持費をどう考えているか」などを説明しました。具体的に「今度、明石でビッグバンドを新しく立ち上げようと考えているのですがメンバーに入りませんか?」「今まで僕がやりたくて暖めていた曲を新しいバンドでやりたいから協力してくれませんか?」「スリリングな、勢いのある演奏スタイルで、迫力が“売り”のバンドを目指して入りませんか?」「サドメルの曲をたくさんやる予定ですから・・・」「団費は、年間6000円でいけると思いますよ」などと話した記憶があります。      

1996年当時、私は、明石でもたいへん歴史のある老舗バンド「メイトジャズオーケストラ」(以後はメイトと略します)に在籍(1985年3月入部~2003年6月休部)しておりました。メイトでは、コンサートマスター、パートリーダー、リードアルト、譜面係といろいろ経験をさせて頂いたものです。新しいバンドを結成するということに少し抵抗はありましたが、メイトとは、別の路線で、「メイトの畑は荒らさない」という考えを基本に、そしてもちろんメイトとの両立を当時は考えておりました。なぜならそのころ私は、メイトのコンサートマスターとして一番、楽しい想いをさせていたし、何でも前向きにメイトに取り組んでいました。        

時を同じくして、1996年ごろから他のビッグバンドにもよくエキストラで参加させていただくようになり、今までメイトしか知らなかった私にとってそのことが、すごくビッグバンドの別の楽しさやエキサイティングな演奏を教えてもらうことになりそのことが刺激もあって話はどんどん自分の中で前進していきました。     

 その当時までは、たくさんの上手いバンド、面白いバンド、楽しそうなバンドとそれぞれ個性のあるバンドを多く聞いてきましたが、それだけでは何も「新しいバンドを作ろう」という気持ちは、湧いてきませんでした。               

では、なぜエキストラでビッグバンドに参加すると感じ方が違うかといえば、当たり前のことですが、やはり中に入って演奏を一緒にすれば、「聞く楽しさ」より別の楽しさが感じられるんですね。                        

 具体的に演奏者側からのビッグバンドの醍醐味と言えばいろいろある中で私は、「みんなでアーティキュレーションを統一してフレーズを合わす」という楽しさ、それも「誰に言われるともなく吹いたときに、同じアーティキュレーションで意思統一ができたとき」の充実感、爽快感!これは、「ちょっとできへんなぁ」と思わすようなとても速い曲(毎分280前後の曲)、曲自体がかなり高度な技術を要する曲(特にサックスソリがやたら難しい曲)などを、絶えず緊張感を持ちつつ、最後まで攻撃的でエキサイティングかつスリリングな演奏ができた時の満足感!その醍醐味を私が実感したのは、ある大阪のビッグバンドの中で吹いていて時でした。

 私は、それまでメイトでは、「一緒に吹く楽しさ、みんなと音鳴らして、吹けたらそれで十分だ」と思っていて、練習後の気の合うどうしでのお茶がとても楽しくてそれらの事で満足していました。

影響を受けたビッグバンド

私が影響を受けた大阪のビッグバンドは、一体どこなのか?という話ですが、それは1996年ごろから2004年までお世話になった「ブルーフレームオーケストラ」です。大阪ガスのクラブバンドでリードアルト、リードトランペットが凄いバンドで潜在的な底力を持ったバンドです。

 最初は、大阪で一緒にロックバンドをやっていた木田泰司氏に誘われて行ったのですが、どこかで見たメンバーがちらほらいました。

 コンサートマスター兼リードトランペットが粟根達也氏、トロンボーンに生田英郎氏、リードアルトが木田泰司氏で、ドラムは、当時なぜか石田勇二氏で、練習では、粟根達也氏の的確な指導力とリードトランペットとしての正確なフレージングと抜群のテクニックでバンドを引っ張っておられたことと、リードアルトの木田氏には、ジャズフレーズのアーティキュレーションの「いろは」など、舌の付く音符の位置まで教えてもらいました。木田氏には、「藤原さんそのフレーズはおかしい、間違ってますよ!」ってよく直されましたが、今思えばこの経験が、とても勉強になったように思います。そして、このバンドのすごいことは、「演奏会の1週間くらい前になると急に上手くなる」という底力を感じることでした。もちろんパート練習でアーティキュレーションの確認もしていたのでしょうが、全体でのアンサンブルにも「切れ」が出てきて、ソリストも立派なすばらしいソロを聞かせます。石田氏のドラムも私には好印象で、とてもわかり易い叩き方(フィル インも含めて)をして下さってたので吹きやすかったです。このとき「何て凄いバンドだ!」と感じ、吹いていて楽しかったですね。

メンバー集め

そういうこともあって木田泰司は「すごい人だ」と3番アルトに決めてすぐに声をかけました。ピアノとドラムは、当時、一緒にコンボをやっていた赤木志穂、吉田周。ベースは、当時ベース経験がなくS.F.B.B結成と同時にエレベを買って始めた山下隆二。「テナーの上手い奴が魚住に住んでいたなぁ」という記憶だけで多田功を捜し出し、「ウインズクラフト」オーナー藤本浩に、それぞれテナーサックスで参加を依頼しました。トロンボーンは、当時「サティスファイ」で活躍中の川口順治に、大音でユーホニュウムを専攻していた尾崎元にそれぞれ相談し依頼。問題は、トランペットですが、元ペネロープの住友正彦と明石南高校OBの溝口大介までは、すぐに決まりました。しかしリードトランペットには、悩みました。そこへ何と、石川貴資よりタイミング良く電話をもらい、「まだ正式に決まってないが、今度垂水に帰ることになると思う。聞いた話で、藤原君が、新しいバンドを作ると聞いたので入ってもいいかな?」という内容でした。私は、願ってもないこと、と「お願いします」と答えました。石川貴資とともに淡路島のサーズデイナイトジャズオーケストラの中谷恭子(バリトンサックス)、トランペットに鈴木繭と竹田裕彦が参加する事により1997年3月にめでたくS.F.BIG BANDが誕生しました。